琉球ガラスのパイオニア、
人生を語る。

琉球ガラスをはじめたきっかけは?

9人兄弟の次男。親は漁師でした。子どもの頃、宮古での生活は貧しかった。
兄がガラスをはじめて家に仕送りをするようになり、その影響で自分も16才でガラスを始めました。
その頃沖縄は米軍の町で、お客さんのほとんどがアメリカ人でした。
作家を志すようになったのは19才。
ご存知のように、琉球ガラスは元々ガラスのリサイクルから生まれたものです。
あちこちまわって、自分で集めた原料を使って、自由に作ることができる。出来てみると、透明で美しい色に輝くグラスなんかが出来る。商品になる、お客さんが喜んでくれる。
もともと、モノを作ることは好きでしたが、その琉球ガラスの自由さに、虜になりました。

若い頃から、作家として認められたのですか?

はじめは普通にお土産品をたくさん作っていました。
その合間に、人がやらないことにチャレンジすることが好きだったので、珍しい作品をたくさん作りました。
誰も作ったことのない色、陶器のような質感、何層にも重ねる技術、琉球ガラス以外の技術も積極的に取り込んで、新しいものに積極的に取り組んできました。
その努力が多くの人に認められたのだと思います。
これまで作ったものは、恩納ガラス工房の二階に展示しています。(※1)

宮國先生が、ガラス体験サービスを始めたのだとか。

ガラス体験をサービスとして始めたのは、自分が感じるガラスづくりの喜びは、誰でも一緒だろうと思ったからです。
わたしがサービスを始めた頃、沖縄が本土復帰して、海洋博の頃、まだまだ個人の観光客は少なかった。
体験サービスはほとんどありませんでしたが、いつか流行ると思ってました。
個人旅行者が増え、レンタカーで旅行するようになって、実際、体験が沖縄観光の一つの柱になりました。

アート作品やお土産、体験サービスまで幅広く手掛けておられますが、区別はあるのでしょうか。

琉球ガラスはいま、沖縄のお土産として広く知られるようになりました。
自分自身は、お土産や日用品であることと、芸術品であること、また、ガラスづくり体験サービスをすることは、どれもあまり区別していません。
作りたいもの、人に望まれるものを作ったら、たまたまそれがグラスになったり、観光サービスになったりしただけ。
いわば、価格や内容に関わらず、全てアートの延長だと思っています。

代表作を教えて下さい。

作品に満足したら、アーティストとしては終わりだと思っています。
だから、特に代表作はありません。これからも生まれないんじゃないかと思います。

いま、取り組んでいることを教えて下さい。

ガラスの魅力は、自由に色とカタチを作れることです。 最近では技術開発も進み、わたしがこれまでしてきたこと以上のチャレンジができるようになっています。 私自身、まだまだチャレンジしていきます。 いま、POWDERのような大型のインテリア向け製品に取り組んでいます。 次は、色の変わるカーテンのようなものを作れないかと思っています。光の射し方で、色が変わっていくような。

若い作家へのメッセージをお願いします。

多くの人材を育ててきたつもりですし、これからも若い人材がどんどん生まれてくると思います。 しかし、まだまだチャレンジは足りない。 わたしたちの世代が作った世界から、もっと大きくはみ出すような挑戦を、若い人にはしてほしい。

※1:宮國次男作品コーナーは、普段は公開していません。ご要望の際は、スタッフにお尋ね下さい。

宮國次男

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